普段何も考えずに生活していると、何かに気づくという事は少ない。見えていて当たり前で、そこにあって普通なモノコト。毎日起きて出勤して働いて家に帰る。このいつもの生活習慣が普通ではないことに気がつくのは、当たり前じゃ無くなった時。病気、疫病で出社が出来なくなったあの頃は、何か大変な事が起こっているけどどうしたら良いのか分からない事だらけだった。数年経過して対策しながらの共存をしてきているけれど、一度崩れた普通と常識は完全に元通りにはならない。
でもそれで良いと思う。選択肢がある今の方が生きやすくなったのは自分だけではないはず。選択の自由という新しさを実行出来るのは今の時代ならでは。作られた普通ではなく自分にとっての普通を作っていくのも楽しいだろう。
とはいえこれまでの普通を全て変えるというのはまた違くて、そうなった「課程と結果」があるからこそ継続されているモノゴトは変える必要はない。良いものは勝手に時代を越えていくから。
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